横浜開港150周年に向けて、横浜をもっと知りたい!という方へ開港の立役者の2人の分身と噂されるぺりー君・はりす君が開港当時の横浜や知る人ぞ知る開港情報をお届けします。

2009年08月10日

知られざる開港にまつわるドラマが演劇に

皆さん、こんにちは。
今回は、開港150周年の今だからこそ知ってもらいたい日本の国際化や人権問題、国民の誇りといったことを語るには外せない知られざる実話ドラマの演劇のご案内です。




「マリア・ルス号事件」

◇ストーリー
明治5年、横浜港に1隻の船が入港した。船の名前は「マリア・ルス号」。当時日本とは条約未締結国であったペルー船籍の船であった。
その船、客船というにはあまりにもみすぼらしく、ある晩、一人の清国人が海へと飛び込んだ。男の名は木慶(モクヒン)。マカオにて騙されて乗船させられ、ペルーへと売られていくところであった。
マリア・ルス号には木慶と同じく230名もの清国人奴隷がまるで荷物のように狭い船倉に詰め込まれていた。
この木慶が助けを求めたところから国際社会に向けて歩みだしていた日本は想像もつかない事件に巻き込まれていく。いや、若き志士たちが自ら飛び込んだと言うべきだろう。
国際的に非常に立場の弱かった日本は、国内でさえ治外法権に悩されていたというのに、下手に外国の問題に手を出せば条約締結国の非難を浴びることは必定であった。
しかし、外交上の問題だけではなく、人道上許せないとして、断固立ち上がった日本人がいた。
大江卓、神奈川県権令。現在の副知事に当たるこの人物は、弱冠25にして政府高官達が尻込みした難事件に敢然と立ち向かっていった。

◇キャスト
平沼成基/ホリベン/野口逢里/野田博史/大音文子/平瀬ゆう/yeye/渡部荘一郎/大和尊/内田雅己/片岡秀一/石川裕太/池田裕治/豊原和秀/樽見貞行/長谷川龍/月島シノブ/大森勇一/矢野雄大/川出拓也/松尾知宜/中村俊洋(ナレーション)

●会場:横浜市開港記念会館



●公演期間:平成21年8月12日(水)~14日(金)

12日(水)19:00
13日(木)13:00/19:00
14日(金)13:00/18:30

※13時の回は終演後、横浜地方検察庁による裁判員制度セミナーがあります。

●チケット
一般4,000円、小・中・高校生2,000円
13時の回のみ小・中・高校生は1,000円、同伴の保護者2,000円となります。

チケットのお申し込みは公式サイトからお願いします。



  


Posted by ぺりー君・はりす君 at 10:00Comments(387)

2008年02月27日

相方・・・ヨシノブジャありませんデシタ

以前紹介シタ、ヨコスカの開国キャラクターデスが、

ペリーさんのトナリニいる人物、ずっと徳川慶喜かと思っていましたガ

チガッタみたいでス。

横須賀開国祭のサイト

によるとぺリリンとオグリンというキャラクターで、

ぺりーと小栗上野介という方がモチーフだそうです。

小栗上野介?シリマセンネー。

しかもこのキャラクターデザインが漫画家の「小栗かずまた」さん

で、この小栗上野介の子孫ラシイデス。

こんどは小栗さんについて調べてみまス。  


Posted by ぺりー君・はりす君 at 09:39Comments(26)

2008年02月12日

生麦事件を知ってイマスカ??

はろーはりすデス。

今日も、横浜は寒いデスネ。ホントにサムイ。

最近、NHKの大河ドラマで、薩摩のお話、やってマスネ?
知ってマスカ??

実は、薩摩と横浜には、ものすごく関係する事件が
開港後、アッタンデスヨ。
知ってマスカ??

その事件とは・・・・・・・
『生麦事件』といいます。


(生麦事件・石碑)

生麦事件は、1862年9月14日に


江戸から京都に向かう途中で島津久光の行列が生麦村に差し掛かった際に、
前方を横浜在住のイギリス人4人が乗馬のまま横切ったのデスネ。

薩摩藩士達はイギリス人4人に対し、
身振り手振りで下馬し道を譲るように説明したのデスガ、
イギリス人には意味が判らナクテ・・・・・、
久光の乗る駕籠の近くまで馬を乗り入れてシマッタノデスネ。

これに怒った奈良原喜左衛門ら一部藩士が斬りかかり1人が死亡、2人が負傷し
残りの1名は無傷だったが後に精神異常をきたし、程なく亡くなったという
悲しい事件ダッタンデス。

彼らの祖国イギリスでは、貴人が馬車や乗馬姿で通る際、下馬して道を譲り、
手綱を締め(馬が暴れない様にする)、脱帽して片膝を付いて座り
敬意を示した上で見送ると云うのが礼儀とサレテイマス。
しかし、彼らの行動は、それに反した、他民族に対し侮辱的で欠礼な振舞と
言わざるおえませんネ。
それが事件の原因と非難されても仕方がないとも言えマス。

しかも殺害された英国人、リチャードソンは中国での滞在期間が長く、
経験上から「東洋人には強い意志で対応しなければならない」と云う差別的な考えを持っていた、と
伝えられており、恐らく日本人に対しても同じ様な考え方を持っていたと思われマス。
来日してからの期間が短かったとはいえ、日本の習慣や礼節を踏み躙る様な振舞いをした事が
事件のきっかけとなった本当に悲しいお話デス。


さらに、この事件でイギリスは薩摩藩に関係者の処罰と賠償を要求するが、
薩摩藩は拒否し、結果として翌年薩英戦争が勃発シマウンデスネ。

文化や差別意識、物の考え方など、なかなか簡単には理解できないものデス。
けれども、他人に対する敬意や思いがあれば、人はきっと解りあえるものと
はりすは思いマス。

実際、このイギリス人たちに、差別的な意識が無かったら・・・・・・
或いは、行列の一向が、外国人だから、許していたら・・・・・・
この事件は起きなかったでしょうし、戦争になり双方で70名以上の
死傷者をダスコトモナカッタンデス。

本当に悲しいお話デス。

開港150周年近くたっても、世の中には差別意識や、利己主義が
まかり通ってイマスネ。
未来の平和な、みんなが仲良く尊敬し逢えるような街、文化を
横浜から発信して欲しい・・・・・

はりす、ほんとうに、そう思いマス。



  


Posted by ぺりー君・はりす君 at 12:01Comments(0)

2008年02月05日

みなぶろブロガー紹介 第2弾!!デス

ミナサンコンバンハ!

ぺりーデス。

みなぶろ、ダイブイイ感ジにナってきましたネエ。

サテ、先日は「お花屋さんのブログショウカイシマシタが、

コンカイハSeawallサンの

「横濱□写真館」デス。

このブログイイですねー。写真がイイ感ジなんでス。

ちなみに□は「マシカク」と読むらしいですネ。

オシャレですネー。

  


Posted by ぺりー君・はりす君 at 19:26Comments(0)

2008年01月29日

横浜駅

ミナサン、コンバンハ

ぺりーでス。

横浜は鉄道発祥の地でもあるんですネ。

最初の鉄道は新橋~横浜間だっタ気がしまス。

今の横浜駅こんな感じでス。



北口でス。  
タグ :横浜港町


Posted by ぺりー君・はりす君 at 21:32Comments(6)

2008年01月28日

外人墓地、行ったことありますか??

はろー、はりすデス。

本当に寒いデスネ。
はりす、ニューヨークに住んでいたしたが
同じくらい寒いデスネェ。

先日、若旦那さんに、外人墓地について
質問を受けマシタ。

みなさんにも歴史、お教えしますネ。

外人墓地は、元々、1854年の第2回目のペリー艦隊が来たとき
ミシシッピー号の乗組員、ロバート・ウイリアムズという人が転落死し
その水兵の埋葬地と、アメリカ人用の墓地をぺりーさんが
幕府に要求したのが始まりナンデスネ。
この時、ペリーさんは「海の見える場所」を要求したソウナ・・・・
もう、ペリーさんは、ロマンティストなんですネ。

実際には、この、水兵さん、一度、横浜の外人墓地に埋葬されて
その後、新設された伊豆・下田のアメリカ人用墓地に移されてしまうのデスガ・・・

その後、文明開化と共に、日本で亡くなる外国人も増えて
1866年までには、現在の大きさまで拡張されたんですネ。
そして1869年(明治2年)に外務省は、
「修理・維持は各国大使館で受け持って欲しい」と
書簡を出し、1870年に各国領事団が管理委員会を設置して
1900年(明治33年)には財団法人横浜外国人墓地として法人化され
現在に至っているんですネェ。


ちなみに、埋葬されている人ハ・・・・
生麦事件のリチャードソンさん・鉄道のモレルさん
ビールを日本ではじめて造った、コープランドさん
フェリス女学院の創設者キダーさん、同じく双葉学園のマチルドさん・・・など。

はりすも勉強になりました。

  


Posted by ぺりー君・はりす君 at 15:51Comments(2)

2008年01月26日

港町ブログ、ニギワッテキマシタネー

ミナサン、こんにちハ。
それにしても寒いですネ。

文章が読みづらいト、ヒョウバンノ

ぺりーデす。

文面に法則ハありマせン。

さてさテ、港町ブログ、略して「みなぶろ」オープンしましたねー。賑わってきましたネー。

ワタクシ、みなぶろブロガーサンの中から、気になるブログを紹介しマース。

第一号ハ、

KAORUサンの

「情熱花屋のこころアレンジメント」デス。

あざみ野ノ花やサンなんですネー。

スイーツネタ、多いですねー。あまーいブログデス。

これからも甘いーイブログ書いていただきたいですネ。

トいうことで、今後も「みなぶろ」ブロガー紹介続けてイキマース。







  


Posted by ぺりー君・はりす君 at 17:00Comments(0)

2008年01月24日

真冬のあいすくりんはいかがデスカ?

はろー、はりすデス。

今週は寒いですネ。皆さん、おからだ、大丈夫ですカ?
はりす、とっても、とっても心配デス。

ところで、馬車道に、こんな「おぶじぇ」があるのを
ご存じデスカ?

太陽の母子像

この「おぶじぇ」、実は・・・・
アイスクリーム発祥記念彫刻『太陽の母子像』と言いマス。
そう、アイスクリームの日本での発祥地は、横浜ナンデスネェ~。

日本ではじめてアイスを食べたのは、万延元年(1860)、日米修好通商条約の改定を
目的とした、アメリカ使節団が派遣され、当時の迎舟での移動中に、
オサムライさんが食べた、といわれているんデスネ。
はりす、知りませんでシタ。

その後、町田房蔵という人、この人、勝海舟サンの友達らしいノデスガ
明治2年1869年5月9日、横浜馬車道で日本で最初のアイスクリーム
「あいすくりん」を製造・販売シタンデスネ。

その後、風月堂さんや資生堂さんのもめにゅーにもなり
アイスクリームは日本中に広がっていったんですネ。スゴイデスネ。。

「あいすくりん」は文明開化の味ダッタンデス。
あったかくなったら、是非とも、アイスクリームを食べましょうネ。

はりすと約束デスヨ。
(条約を結びますか? 笑)


追記:
参照
日本アイスクリーム協会様HP
http://www.icecream.or.jp/date/history07.html

馬車道商店街様HP
http://www.bashamichi.or.jp/

  


Posted by ぺりー君・はりす君 at 13:42Comments(0)

2008年01月23日

黒船の上で

こんばんハ。

ぺりーでス。

「ぺりー」は「ペリー」じゃないんでス。
ひらがなでス。

今日は私の心のふるさと横須賀のお話をしまース。

横須賀、九里浜は1853年7月に上陸した場所デース。

日本はこのあとすぐには開国せずに、翌年までの猶予を求めたため

ぺリーはいったん琉球(沖縄)にいき、翌年神奈川で「日米和親条約」を
調印させましタ。

そんな横須賀で夏に開国祭があるのですが昨年のポスターでこんなペリーさんを
発見。



隣にいるのはダレダ?




  
タグ :開港横浜


Posted by ぺりー君・はりす君 at 00:30Comments(0)

2008年01月22日

ペリー豆知識デース

皆さんコンニチワー。ぺりーです。
今日は私の尊敬する「マシュー・ペリー」さんの豆知識を披露しまース。
黒船で日本に開港を迫ったペリーですガ、当時の日本人には「赤鬼」と呼ばれていたそうです。
こわいですネー。「赤鬼」
しかーし、ペリーが「赤鬼」と呼ばれていたのは怖いからじゃあないんでス。

実はペリーさん


アル中だったらしいんです。



いつも鼻が赤かったんですねー。



そういえばもうすぐ節分ですネー。

それではまた。バーイ!



  
タグ :ペリー開港


Posted by ぺりー君・はりす君 at 13:07Comments(2)

2008年01月19日

横浜港のエレファントを知ってますか??

はりすデス。

今週は寒かった・・・デスネ。
何でも、週末、来週は雪が降るそうデ・・・・・
皆さん、風邪にはご注意クダサイネ。

ところで、横浜港にエレファントがいるのを知ってますカ?(笑
エレファントといっても、「鼻」のコトデスガ・・・・。

そう、「象の鼻地区」の事デス。

赤レンガ倉庫から、山下公園とを結ぶ
「山下臨港線プロムナード」からみて、大さん橋のつけね付近、
右手に象の鼻のような形をした防波堤がアリマス。
これが、「象の鼻」のように見えることから、「象の鼻地区」と
ヨバレテイルンデスネ。

でも、この「象の鼻地区」、実は、かなり重要な場所なんですネ。
というのも、この地区にあった桟橋から、私たち、外国人、
そして皆さん、日本人、多くの方々が舟に乗り、旅に出発されたんデスネ。
つまり、横浜の開港の歴史の生き証人なんですネ、この地区ハ。

1858年に、わたし、ハリスが結んだ修好通商条約は
わがステイツだけでなく、エゲレス、フランス、ロシア、オランダにも
結ばれ、翌年の59年に横浜は開港したわけですが、
この「象の鼻地区」には東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)が
設置され、その後も改修、拡大を繰り返し、現代の横浜港の基礎を
つくったんですネ。

象の鼻

横浜市は現在、この地区の再開発をすすめていますデス。
皆さんにも、その歴史の一端を感じて、イタダキタイ、モノデス。

アタタカクなったら、みんなでお散歩に出かけましょウ。



はりすデシタ。



追記:
詳細はコチラ。港湾局のHPを参照くださいネ。  


Posted by ぺりー君・はりす君 at 08:56Comments(4)

2008年01月14日

横浜のシルクロードを知ってイマスカ?

はりすデス。

今日も、メチャクチャ寒いデスネ。
カゼ、ひいてませんカ?

突然ですが、横浜にシルクロードがあるのを知ってマスカ?
浜街道というのデスガ・・・

浜街道(はまかいどう)は、1859年(安政6年)の横浜港開港により始まった生糸の輸出のため、
現東京都八王子市と同神奈川県横浜市を結んだ道なんですネ。
現在の国道16号とほぼ同様の経路で別名神奈川往還と呼ばれてイマス。
日本のシルクロードにあたるということから、後に絹の道とも呼ばれるようになったんですネ。

横浜市内では八王子街道と現在でも呼ばれている、あの道デス。

こうやって記念碑が八王子市内にのこってますデス。



甲信地方、北関東および多摩地域で生産された生糸が八王子周辺に集められ、
特に南多摩郡由木村鑓水地区(現東京都八王子市鑓水)の商人が仲買として活躍したそうデス。
その後1908年(明治41年)に街道と並行して横浜鉄道(現JR横浜線)が開通すると、
鉄道による生糸の移送がはじまったんデスネ。

実は、1858年、私、はりすが結んだ条約で、日本と我が国あめりか、で貿易を
する事になったんデス。
そして59年、横浜が貿易港として、開港するワケデス。
その際、日本側の輸出品のとっぷが、生糸だったんですネ。
勿論、横浜では生糸を作っていないノデ、つくっているトコロから
運ばなければナリマセン。
その、運んだ道が、シルクロード、つまり浜街道なんですネ。

文明開化はとかく、異国からもたらされたモノやヒトに話がイキガチですが
実は、こんな風に、自然に変化シタモノもあるんデス。

是非とも、覚えておいてクダサイね。


ハリスでした。。。。
  


Posted by ぺりー君・はりす君 at 16:46Comments(0)

2008年01月11日

はりすは電車が大好きデス。

こんにちは、はりすデス。

日本の冬は本当に寒いですネ。
はりすは、毎晩、ウィスキーをのんで、温まってマス。
決して、あるチュウでは、あ~りません。(笑

さて、今回も友達を紹介しますデス。
彼の名は、エドモンド・モレル。
1841年生まれで、71年に若くして亡くなってます。

彼の業績は、誰もが知ってることデス。

それは、日本ではじめての鉄道を作ったのデス。

イギリス公使ハリー・パークスの推薦により工部省の招聘を受け、
新橋~横浜(桜木町)間の鉄道建設のために、1870年に来日、
初代・鉄道兼電信建築師長に就任したんデスネ。

当初輸入を考えていた枕木を、国内産にしたり・・・と
日本の実情・環境に合せた技術指導を行ったことから、
「日本の鉄道の恩人」と言われてマス。

当時の横浜駅である、現・桜木町駅近くには、その後、モレルの業績を讃え
「モレルの碑」が「鉄道発祥記念碑」とともに設置されているんですネ。
素晴しいデスネ。

モレルの碑


彼は、前の赴任先であったセイロン島の時から、ずっと肺を病んでおり、
鉄道完成を目前にして結核で早死にしてしまいマシタ。
そして日本人の妻もすぐ後を追ってしまったんですネ。
非常に悲しいお話デスネ。
その2人は、外人墓地に葬られていますヨ。

ちなみに、鉄道開通時に、明治天皇が行幸され、盛大にお祝いをしまシタ。
その際、当時の神奈川県令の大江卓サンは、横浜市内の民家に『日の丸』を
掲げるように指示したんですネ。
そうしたら、これが好評で、お祝いや祝日の時に、『日の丸』を掲げるように
なったんデスヨ。

スゴイデスネ。。


  


Posted by ぺりー君・はりす君 at 09:39Comments(0)

2008年01月06日

アケマシテおめでとうございマス

横浜の皆さま、こんにちはデス。
おめでとうデス。

はりすデス。

お正月バケーションを楽しんで、明日から仕事に
行きたくなぁ~い、なんていう方、いっぱい、いっぱい
いらっしゃるんじゃないデスカ?

はりすもお腹が痛くなってきましたデス。(笑
ぷれっしゃーに弱いんデス。(笑

ついつい、お酒に手が伸びてしまいマ~ス。
はりす、悪い子デス。(笑

ところで、今日は、きっと仕事が大好きだったお友達を
紹介しますデス。

リチャード・ヘンリー・ブラントン像

彼の名前は、リチャード・ヘンリー・ブラントン。

スコットランド人で、明治政府から招聘された「お雇い外国人」の一人デス、ハイ。
彼は「日本灯台の父」として有名で、日本にいた7年ちょっとで
灯台26箇所、灯竿5箇所、灯船2箇所の建設、設置に携わっていますデス。

しか~し、彼はそれだけでは終わらないんデスネ。
業績、特に横浜では目を見張るものがありますデス。
有名なところでは「電信工事」(1869年)、日本初の鉄橋建設(関内・吉田橋)
それと、「横浜公園」&「日本大通」のデザイン。

つまり、今の横浜の街の都市設計、その最初は
ブラントンによるものだったんデスネ。スゴイね、本当ニ。

そんな彼の銅像が、横浜公園内に設置されてマス。
お散歩ついでに、会いに行ってみてクダサイネ。


はりすデシタ。。。ばいばい。。

  


Posted by ぺりー君・はりす君 at 10:57Comments(0)

2007年12月28日

ないすとぅーみーとぅゆー

ニホンノミナサンコンニチワ

私はぺりーです。日本人デス。

開港ブログということで今回は私の尊敬する、開港時に大活躍したペリーさんについて書きます。

私の尊敬するペリーさんマシュー・カルブレース・ペリー(英:Matthew Calbraith Perry, 1794年4月10日 - 1858年3月4日)は、

アメリカ海軍の軍人。エリー湖の戦いにおけるアメリカ海軍の英雄であるオリバー・ハザード・ペリーの弟。日本の江戸時代に艦

隊を率いて鎖国をしていた日本へ来航し、開国させたことで知られる。日本語名は「彼理」。

な・なんと、日本語名なんてのがあるんです!!

しかも

「彼理」!!!

かっこいー!!

来航当時の幕府はオランダ語通訳を使用していたため、当時の文書にはオランダ風発音の「ペルリ」で表記された。

「ペルリ」はちょっと変ですが。

  


Posted by ぺりー君・はりす君 at 22:48Comments(0)

2007年12月28日

オトモダチを紹介するデス

横浜のみなさん、おはこんばんわ!

はりすです。

クリスマスもおわり、もうじき、お正月デスネ。
お餅に、お屠蘇に、振袖。
日本のお正月は素晴しいデス。
はりす、大好きデス。

今日は、お友達を紹介しマス。
彼の名前は、井伊直弼さん。
掃部山井伊直弼

彼はライバルでもあり、良き理解者デシタ。
ホントに強敵。
彼とは、「日米修好通商条約」を結ぶ交渉の席で
互いに意見交換をたくさんシマシタ。

彼がいなかったら、きっと、条約は結ばれていなかったと思いますデス。

そんな彼の銅像が、横浜のみなとみらいを見下ろす公園に
あるのを知っていますか??

その公園の名前は「掃部山(かもんやま)公園」その小高い丘に彼の像がタッテイマス。
ちなみに掃部(かもん)とは、彼が名乗っていた
名前、井伊掃部頭(かもんのかみ)直弼からとったそうですヨ。
彼は、残念なことに、開国反対派の手により1860年桜田門で
暗殺されてしまいますが、
今尚、開国を果たした横浜を見守りツヅケテイマス。




本当に寒くなってきましたデス。
みなさん、風邪なんて行かないように、ご注意クダサイネぇ~。
はりす、とっても心配です。



  


Posted by ぺりー君・はりす君 at 21:10Comments(0)

2007年12月21日

はりすハ夜遊びがすきデス

はろー。

はりすです。
ワタシ、突然ですが・・・・・・
夜、出かけるのが好きデス。。
夜はきれいなモノがいっぱいあって大好きデス。

ヨコハマの夜のバタフライもイインデスが・・・・・
それじゃ、ワカダンナと一緒にナッテシマイマス。(笑

ヨコハマの街のガス灯がきれいデ大好きデス。
このガス灯は、明治の初めのころ、ヨコハマに灯ったんデスヨ。



1872年(明治5年)に、伊勢山下石炭蔵跡に『横浜煉瓦会社』というガス会社が創業し
同年9月22日に、大江橋(桜木町)~馬車道~本町通り沿いにガス灯がついたんデスヨ。
(ちなみに、現在の本町小学校付近で創業、記念で今でもガス灯が灯っています。)

それはもう、キレイだったんデス。

ヨコハマは本当にガス灯の似合う街デスネ。
これからも、大切にシテクダサイネ。
はりすからのお願い。。

詳しく知りたいヒトは、㈱マスオさんのHPをミテクダサイネ。
マスオさんは、ガス灯のぱいおにあ、デスヨ。


アシタハ寒くなるらしいデス。
ミナサン、オ風邪、ヒカナイヨウニ気をつけてクダサイネ。。


はりす
  


Posted by ぺりー君・はりす君 at 13:15Comments(0)

2007年12月18日

はろー横濱のみなさん。。

たうんぜんと・はりす
はろー。

ワタシ、アメリカ初代駐日大使の、たうんぜんと・はりすです。
ワタシの好物は牛乳です。

ワタシが秘書兼通訳のヘンリー・ヒュースケンと日本に来て
もう150年経ってるんですねぇ~。
あれは、確か1856年、伊豆の下田デシタ。。。
long long time agoですね。

今回、横浜に戻ってこれて、That's my preasure!!
本当に嬉しいデス。

ワタシは、合衆国政府を代表して、「日米修好通商条約」という
貿易の条約を結びました。
1858年の事です。そして、翌年の1859年、横浜が開港したのです。
ワタシ、あの時、本当に嬉しかったデス。

そのころの思い出を、hama1で書けて、ワタシ、最高にhappyです。
先輩のMrペリー、ジャーニーのスティーブ・ペリーじゃ、あ~りませんよ・・・・
太平洋艦隊提督のぺりーサンと武呂具にしていきたいと思いマ~ス。(笑

みなさん、ど~ぞ、よろしく。。
はりす、って呼んでくださいね。

ちなみに、ワタシ、1847年にニューヨーク市「フリーアカデミー」を設立しました。
これ、現在のニューヨーク市立大学シティカレッジとして残ってます。
知ってましたか???
  


Posted by ぺりー君・はりす君 at 12:40Comments(2)