2008年01月11日
はりすは電車が大好きデス。
こんにちは、はりすデス。
日本の冬は本当に寒いですネ。
はりすは、毎晩、ウィスキーをのんで、温まってマス。
決して、あるチュウでは、あ~りません。(笑
さて、今回も友達を紹介しますデス。
彼の名は、エドモンド・モレル。
1841年生まれで、71年に若くして亡くなってます。
彼の業績は、誰もが知ってることデス。
それは、日本ではじめての鉄道を作ったのデス。
イギリス公使ハリー・パークスの推薦により工部省の招聘を受け、
新橋~横浜(桜木町)間の鉄道建設のために、1870年に来日、
初代・鉄道兼電信建築師長に就任したんデスネ。
当初輸入を考えていた枕木を、国内産にしたり・・・と
日本の実情・環境に合せた技術指導を行ったことから、
「日本の鉄道の恩人」と言われてマス。
当時の横浜駅である、現・桜木町駅近くには、その後、モレルの業績を讃え
「モレルの碑」が「鉄道発祥記念碑」とともに設置されているんですネ。
素晴しいデスネ。

彼は、前の赴任先であったセイロン島の時から、ずっと肺を病んでおり、
鉄道完成を目前にして結核で早死にしてしまいマシタ。
そして日本人の妻もすぐ後を追ってしまったんですネ。
非常に悲しいお話デスネ。
その2人は、外人墓地に葬られていますヨ。
ちなみに、鉄道開通時に、明治天皇が行幸され、盛大にお祝いをしまシタ。
その際、当時の神奈川県令の大江卓サンは、横浜市内の民家に『日の丸』を
掲げるように指示したんですネ。
そうしたら、これが好評で、お祝いや祝日の時に、『日の丸』を掲げるように
なったんデスヨ。
スゴイデスネ。。
日本の冬は本当に寒いですネ。
はりすは、毎晩、ウィスキーをのんで、温まってマス。
決して、あるチュウでは、あ~りません。(笑
さて、今回も友達を紹介しますデス。
彼の名は、エドモンド・モレル。
1841年生まれで、71年に若くして亡くなってます。
彼の業績は、誰もが知ってることデス。
それは、日本ではじめての鉄道を作ったのデス。
イギリス公使ハリー・パークスの推薦により工部省の招聘を受け、
新橋~横浜(桜木町)間の鉄道建設のために、1870年に来日、
初代・鉄道兼電信建築師長に就任したんデスネ。
当初輸入を考えていた枕木を、国内産にしたり・・・と
日本の実情・環境に合せた技術指導を行ったことから、
「日本の鉄道の恩人」と言われてマス。
当時の横浜駅である、現・桜木町駅近くには、その後、モレルの業績を讃え
「モレルの碑」が「鉄道発祥記念碑」とともに設置されているんですネ。
素晴しいデスネ。

彼は、前の赴任先であったセイロン島の時から、ずっと肺を病んでおり、
鉄道完成を目前にして結核で早死にしてしまいマシタ。
そして日本人の妻もすぐ後を追ってしまったんですネ。
非常に悲しいお話デスネ。
その2人は、外人墓地に葬られていますヨ。
ちなみに、鉄道開通時に、明治天皇が行幸され、盛大にお祝いをしまシタ。
その際、当時の神奈川県令の大江卓サンは、横浜市内の民家に『日の丸』を
掲げるように指示したんですネ。
そうしたら、これが好評で、お祝いや祝日の時に、『日の丸』を掲げるように
なったんデスヨ。
スゴイデスネ。。

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Posted by ぺりー君・はりす君 at 09:39│Comments(0)